なまら春友流

ラーメン屋店主兼ブロガーの春友がラーメン、ガジェット、日常について書くブログ

プロフィール

なまら春友流について

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このブログを運営している春友(ハルトモ)が好きなことを好きなように(自分流に)書いているブログです。
開設は2011年2月5日、WordPressを利用して運営しています。
それまでははてなダイアリーで2010年6月10日から初めてのブログ春友日記 〜なまらiPhone〜を運営していました。
iPhone3GSを持ち、Twitterを始めてブロガーの中の人に興味をもったので自分もブログを始めようと思ったのがきっかけです。
ブログを始めるきっかけとなった中の人に会いたい!っていう願いはおかげさまで今ではほぼすべての人に会えてかなっています。
またブログを通じて本当に日本全国に友人がたくさんできました。
ブログを始めて良かったと心から言えることです。

タイトルについているなまらという言葉は私の出身である北海道弁で「超」とか「very」「とても」の意味です。
でも実は新潟弁だったというのは内緒です。
春友(ハルトモ)が「なまら」「自分流」に書くという意味で付けたブログタイトルとなります。

ブログのコンテンツはだいたい、

と、だいたいこんな感じで固まってきていますが自分の興味のあることを書くスタンスは変わりません。

書くうえでこだわっていることは自分視点で好きなように書いてはいるのですが、1人でも読んでいる方に役立った、とか面白かった、と思ってもらえるように意識して書いています。

月間PVは20万PV前後、目標PVは100万PV/月です。
更新頻度は3日に2記事ほどとなっています。(2013年3月で500記事突破)

春友(ハルトモ)について

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略歴

ネットの名前春友(ハルトモ)。
北海道苫小牧市生まれ、30代の蟹座のB型。
六星占術では寅年の木星人(+)で、霊合星人。
1つ上の兄と2つ下の弟がいる3人兄弟の真ん中。
B型で3人兄弟の真ん中で霊合星人、「うわぁぁぁ、面倒くさそうな人だ!」って感じですが一応私は元気です(笑)

春友という名前の由来は長男の頭文字(春)と長女の頭文字(友)から作ったネットの実名です。

幼少期〜大学まで

1歳で話し始めた時には水戸黄門の「じ〜んせい〜、ら、く、あ〜りゃ〜、く〜もあるさ〜」と歌っていたらしく達観したクソ生意気な幼少時代だったようです。
よく覚えているのはおばあちゃんの背中におんぶをしてもらって盆踊りにいったことなどはなぜかものすごく記憶に残っていたりします。
なぜなんでしょうかね(笑)

小学校時代は空手を2年生からはじめて6年生まで習っていました。
近所の同年代の子供達も習っていたので切磋琢磨しつつやってた記憶があります。
第2次ベビーブームだったので小学校は7クラスあったし何をするにも人数が多く倍率が高かった世代でしたね。
当時15万人しかいない北海道の田舎の苫小牧でも空手教室の人数はかなりいましたしね。
今は当時の空手教室はどこも残っていないと聞いています。

小学校4年生には高校卒業まで続けたサッカーを始めました。
完全に「キャプテン翼」の影響です。
できもしないスカイラブハリケーンを支えあいながらやったり、へなちょこシュートなのにイーグルショット!とか言って楽しくボールを蹴ったり人のスネを蹴ったりしてました。
学校では生徒会に毎回立候補するけれどいつも同じ「めっちゃ可愛かった女の子」に負けてたのがトラウマです(笑)
小学校卒業までは恋愛なにそれみたいな青いガキでした。
好きな子はいましたけどね。

中学ではサッカーに明け暮れてました。
途中アイスホッケー(苫小牧は全国一アイスホッケーが強い街です)部に入れば良かったなぁとか思ったこともありましたけど、一応市の選抜チームに選ばれたことはものすごく自分の中で誇りになりました。
兄が前年に選ばれていたのでなんとしても自分が3年生の時は選ばれたかったのでめっちゃ嬉しかったのを覚えています。
空手はサッカーで忙しくなって辞めてしまいましたね。
勉強は小学校高学年の時の先生がとにかく厳しい先生で予習することが習慣になっていましたので授業の予習はしていて特に苦労はしなかったです。
恋愛は年下の彼女が初めての彼女でした。
手しか繋いだことなかったけど(笑)

高校入学後はサッカーに前半は明け暮れてましたが後半はいろいろ中途半端でした。
母校の苫小牧東高校って校風が自由なんです。
制服も髪型も特に何も言われない。
でも、今の高校生と違って当時の北海道の片田舎の高校生は圧倒的におしゃれを知らない世代なのでみんな好き好きな学ラン着てましたね。
今見たら笑っちゃうほどの短ランです、そうです「ビーバップハイスクール」世代です。
勉強は完全に苦手科目ばかりになってきて数学、微分・積分、物理などの理系は全滅、英語も苦手、国語が大得意って状況になってました。
なので、国立大学は無理というか選択すらできない状況に陥ってました。
国公立大学に入学するということはほんと親孝行だと自分が親になったらつくづく思います。
女子は私服が多かったですが化粧っ気はほとんどの子がなかったです。
うーん、今思うとホントに可愛い子が一目瞭然だったのである意味いい時代だったのかもですね。
恋愛はここからはノーコメントですよ(笑)

で、受験ですが高校の後半がなんか色々頭でっかちになってて考えちゃって何やっても中途半端で大学受験に失敗しました。
その年東京に出てきて住み込みで予備校に通って勉強したんですが翌年も失敗。
実家に戻って予備校の単発講座を受けに札幌まで出ていってて志望大学を目指しましたが本命はダメで札幌の全く興味の無かった大学に入ることとなりました。
大学卒業っていうのが欲しかっただけなんですよね。
この選択は今からあの頃に戻れるなら入学しないで働け!と言いたいです。
入学し初めの頃は大学生だ!ってことで楽しかったんですが全く興味のない学部に入ってしまったため結果的には大学に全く行かず、単位が取れず2年も留年することになってしまったので。
そして大学に行かないでフラフラしていた時はいろんなバイトをしましたね。
工事現場から書店店員やらコンビニ店員やらホストしたり全部で10種類以上は入っては辞め入っては辞めの繰り返しでした。
あ、でも書店は電子書籍で頑張っている某大手書店さんでのアルバイトだったんですが、東日本のマネージャーだった人(だったと思う)から「社員にならないか?」って言われたんですよね。
私のことを大学生だと知らずに声をかけてくれたようでそれを社員の人に相談したら、そんなこと言われた人は今までにいなかったらしくたいそう驚かれたのも懐かしい記憶です。
おそらく今はそのマネージャーさんはもうリタイアされている年齢だと思うのですが、それを断った僕はアホですよね、完全に。
一応大学生だからと断ったのですが後に就職が決まらない時は本気で後悔しました(笑)
そんななか人生で1番フラフラしていた時に友達から紹介されたのが最初にお世話になったラーメン屋でした。

ラーメンとの出会い

ラーメン屋さんに限らず何でも初めてやることって大変ですよね。
私が初めてお世話になったラーメン屋はめっちゃ狭いお店だったので店主の動きに合わせて厨房内を動かないと怒声が飛ぶし、火を使ってるから危険なんですよね。
一度背中に誤って中華鍋丸々の熱湯をかぶったことがありました。
店主との呼吸が合わなかったために起きたんですが、今でもあの時もししゃがんでたらどうなっていただろうと思うことがあります。
背中で良かった。
背中の火傷のシミは3年間ほど消えませんでしたが、なぜかそのうち消えました(笑)
そのお店は2年間ほど働いたのち潰れました。
まぁ詳細は書きませんが全てがドンブリ勘定のお店だったので当然って言えば当然です。
ただそのころのススキノはとにかく好景気。
官官接待の全盛期で深夜お店にひとりでいると700円のラーメン1杯に1万円札を出してきて「兄ちゃん、お釣りは取っときな」っていうのが何度もあったんです。
昭和ですなぁ〜(笑)
貧乏学生なんで飛び上がるほど嬉しかったですね。
それが官官接待が問題になり(北海道発)、公務員の接待の禁止となりススキノが一気に冷え込んで続けざまに拓殖銀行が破綻しました。
もうねどんぶり勘定でやってたお店はたぶん全部潰れたと思います。
でも、ラーメンの腕というか中華料理出身のマスターの料理は圧倒的に本物で、そこで本当に色々なことを学びました。
クラブやスナックのお姉さんに可愛がられる方法とかも(笑)
20代前半でしたから。

そしてお店が潰れたので急に収入が無くなった(日給制で貰ってたのでガチで)わけですが、前のお店での働きっぷりを知っててくれている他のお店のラーメン屋の店長が引っ張ってくれたんです。
前のお店で最後の1年間はくらいはひとりでも店番から調理・仕込みまで何でもできるようになっていたので即戦力ではあったわけですが。
そこが2店目のラーメン屋さんでした。
あ、一応この時の僕はまだ学生です(笑)

1店目は清湯スープ、2店目は白湯スープと違うスープのとり方ができるというのは結果的には役立ちました。
2店目では改善点が見えてきたんです、前のお店で行なっていたことで良かったことを細かくですが導入できるんですよね。
あまりというか他店のことはほとんどわからないものなんです、飲食店って。
だからその時の店長にも重宝されて、社長(このお店は出資者と現場が当時違ってた、今は店長がお店を買い取った)にも可愛がってもらえた。
営業努力により前年より多く売ったら1日千円多くするというインセンティブも導入してもらったり、よく御飯も連れて行って貰ったし。
そしてインセンティブもけっこうな確率で貰ってた。
結果このお店には4年間お世話になりました。
ただ2回の留年を経て大学を卒業する際に、まともな就職もないわけで、ラーメン屋でこのまま働かせてくれないか?と社長に何気なく言ってみました。
その時の社長の言葉が忘れられないんですが「働かせるのはいいけれど、学生して一応卒業して、社会人にならないでラーメン屋やったらこれから将来の世界狭くなるけどいいのか?」って言われたんですよね。
ガツンときました。
なので、ラーメン屋は一旦卒業することとなります。

医療業界へ

26歳の新卒(笑)ですがハローワーク通いでなんとか医療機器の営業の職を得ました。
携帯電話や車などが当たり前のように貸与されることに驚いたのを思い出します。
社会人すげぇなぁ、会社ってすげえなぁ、と。
北海道中の病院を走り回る生活が続き、年間走行距離はタクシー運ちゃんもびっくりの75,000Km。
車検で、『ブレーキパッドの消耗がやばすぎですよ!何年検査来てないんですか!え…い、いちねんなの…』と言われたのもいい思い出です。
その札幌の会社で3年働いたのちアメリカの医療機器メーカーにヘッドハンティングされました。

ヘッドハンティングされたらお給料が倍になって驚きました。
1年後にはその給料にもすぐに慣れましたが。
慣れって怖いですね(笑)
そしてヘッドハンティングされた会社の札幌の営業所で3年働き、横浜に異動となりました。
異動した横浜で5年間働き2013年2月28日に最終出社日(退職は4月)となり、サラリーマンを辞めることとなります。
退職した理由は『らーめん春友流(はるともりゅう)』を独立開業してオープンするためです。

春友流のこれから

6月(予定)に横浜市でラーメン店「らーめん春友流」を開店します。
ただこのブログ「なまら春友流」は、今までと変わらずにiPhoneなどのガジェットの使いこなしや興味のあるもののレビュー記事を中心に好きなことを好きなように、そして読んでくれる方に何かを感じてもらえるように書いてゆきます。
すっぽんを捌いたりグルメ系の記事も多めです。
「らーめん春友流」に関しては別途ホームページも作成予定です。

ここでひとつ書く必要もないようなことなのかもしれないですが書いておきます。
脱サラしてラーメン屋を始めるというと、「ラーメン屋をするのが夢だったんですね」とか「夢が叶ってよかったですね」と言われることが多いです。
でも、ラーメン屋の開店が僕の夢ではないのです。
ちょっと夢に対してのニュアンスが違っている感じがしたのでここに書いておきます、蛇足ですが。

「らーめん春友流」について

6月オープン予定の「らーめん春友流」についての情報は以下を。

  • 〒220-0041 神奈川県横浜市西区戸部本町38-7
  • スープは「豚骨醤油」1種類
  • 麺は札幌「西山製麺の卵麺」
  • 系統的には「旭川系」

いつかやりたいと思っていたラーメン屋開業。(夢とはまた違うのですが)
きっかけはブロガーが集まってブログを書いたり運営テクを話すブログバカ2代目というイベントでブロガーにラーメンを食べてもらったのがきっかけ。
皆さん絶賛してくれました。
ここで元ラーメン屋である僕にカチッとスイッチが入りました。
めっちゃ自分の作ったラーメン食べて笑顔になってくれてるから。
自分ができることで人が笑顔になる。
そしてそれは仕事として成り立つ可能性がある。
こんな思考で脱サラしてラーメン屋を開業しようと決めました。
2013年の正月にその決意を世間に知ってもらうために書いたエントリーで皆さんからの温かい言葉でさらに勇気付けられました。

仲良くさせてもらっているブロガーの皆さんの春友らーめんエントリーは、こちらこちらから読めますので良ければ読んでください。
みなさんの笑顔が感じられると思います。

メディア掲載

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Mac Fan 4月号に家族で掲載させていただきました。
FaceTimeが繋げるものというタイトルで書いたエントリーがMac Fanの編集の方の目に触れ取材の依頼が来ました。
ブログを書いていて、雑誌に掲載されるようなお話がくるとは夢にも思っていなかったのでとても良い経験となりました。
もし今後ともこのような依頼がありましたら喜んで受けさせて頂きますのでなんなりとおっしゃってくださいね(笑)

これからはラーメン店の店主という点での露出もしてゆきたいと思っておりますのでよろしくお願いいたします。

とまぁこんな感じの春友(ハルトモ)でございますが今後とも「なまら春友流」をどうぞよろしくお願いいたします。
このプロフィールは随時書き足してゆきますのでこちらもお楽しみに。

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